会員の窓MEMBERS NEWS

会員の窓

企業法務に携わって2024年04月08日

大学卒業後、日本電気株式会社(NEC)に就職しました。当時は総合商社並みに海外出張が多い企業だったので、昔から海外志向が強かった私は、海外営業になれば「仕事で頻繫に海外に行けるぞ」というかなり不純な動機で入社したところ、配属希望に反して法務文書部法務課に初任配属となりました。いわゆる企業の法務部門です。その後、米国ロースクール留学や国内外の出向も経験しましたが、一貫して企業法務に携わってきました。同志社大学でも企業法務に対応する教育が行われていると聞いており、私の経験を少しご紹介させていただきます。なお、バブル崩壊までは法務部門でも「仕事で頻繫に海外に行けるぞ」という不純な動機を満たすことができ、20代後半にはJALグローバルクラブのメンバーになりました。

法務部員として最初に勉強したのは印紙税法でした。私の場合は、メーカーの法務だったので、さらに下請法にも取り組むことになりました。大学で学んだことが役に立たないわけではありませんが、新人のときは、分からないこと、知らないことのオンパレード。初めての契約書チェックでも、上司から「対価性の問題は?」と指摘され、何のことを言われているのか全く理解できません。税法の観点から、支払いに対価性がなく寄附とみなされ、損金不算入とならないかとの指摘でしたが、その後の企業法務人生において単純な業務委託から複雑な海外M&Aに至るまで「取引あるところ課税問題あり」ということを常に考えるきっかけとなりました。

入社2年目には、初めて英文書類にサインしました。日本電気が米国インテルを提訴した債務不存在確認訴訟の証拠開示手続で秘密情報にアクセスするために必要なカリフォルニア州連邦地方裁判所の秘密保持命令に対する同意書です。あの頃は、副担当として、昼間にアメリカ大使館での証言録取に立ち会ったり、夜中まで提出資料のコピーやナンバリングに追われ、毎日終電で帰宅する生活でした。訴訟には勝ちましたが、ビジネスで負けてしまったので、後味の悪い思い出となりました。

20代の頃は、貿易摩擦対応も大変で、欧州のダンピング事件を担当したときは、欧州委員会への回答書作成、検証作業の立会、現地生産の推進などに従事し、過労で一週間ほど入院したこともありました。他にもインドネシアで合弁会社設立、欧州5ヵ国の子会社設立など、もっぱら国際法務を担当しましたが、国内では電気通信事業法の制定に伴う約款の作成や著作権法改正にも関与しました。

31歳のとき、米国デューク大学ロースクールに留学し、途轍もなく日本語の上手な学生に出会いました。現在、同志社大学法科大学院で教鞭をとっているジョーンズ教授です。世の中狭いです。帰国後はプロジェクトファイナンスを伴う通信システムの供給案件やフランス国営企業の民営化に伴う資本参加など、金額の大きい案件を担当し、マイクロソフトやオラクルなど、大手ソフトウェア会社とのライセンス契約にも携わりました。

1998年から4年間、英国ロンドンの欧州統括会社に法務責任者として出向。欧州では、法務業務の他に欧州共同体へのロビイング活動にも従事することになり、頻繫にブリュッセルに出張しました。一方で、法務業務では複数法域にまたがる売掛債権の証券化、クロスボーダー・マージャーによる子会社の統廃合など、当時最先端の案件を経験。プライベートでは、ロンドンのクローバー会に参加し、当時の八田学長が経済学部の先生方を伴って訪英された際のレセプションにも出席しました。隣の席が経済学部の北川教授で、20年以上お会いしていないのに私の顔を覚えて下さっており、声をかけて頂きました。私は全然気付きませんでしたが、中学の野球部の1年先輩です。世の中やっぱり狭いです。

    

英国駐在時代。背景の建物は、ロイヤル・シェークスピア・シアター。

 

英国から帰国後は、取締役会や株主総会の事務局、有価証券報告書の作成、適時開示等、いわゆる機関法務に携わりました。これでひと通り企業法務を経験することができました。なお、米国SOX法対応で社長による確認を実施するため、社長に説明した際に「資料を読むな!」と一喝されたのをいまでも覚えています。

大阪の子会社に総務部長として出向した際には、法務スタッフとして経営トップとより親密に業務を経験できました。2012年末には、米国連邦倒産法のいわゆる363セール手続に参加しましたが、恐らく日本のメーカーとしては、最初の事案だったと思います。定年前ごろは、欧州のデータ保護規則への対応に苦労しました。

 

企業法務に長年携わってきてこの仕事が面白いと感じるのは、色々な国の様々な案件に関わりをもてたことです。また、自分のクライアントが会社であることから、コンプライアンス確保のためのゲートキーパーを維持しつつも、適法な範囲内で利益の最大化とリスクの最小化を図るビジネスマンとして、当事者意識を持って事業に関われることだと思います。

 

1984年卒 八島光男